写真・図版
洲崎館の堀跡を発掘した2019年の調査=筆者撮影

北の山城・中

 北海道上ノ国町にある国史跡上之国館跡(かみのくにたてあと)を訪ねて、今回も北の中世史をたどる。史跡上之国館跡は、花沢館、洲崎館、勝山館の三つの城跡が構成している。前回は花沢館を記したので、今回は洲崎館を探検したい。

 1457(長禄元)年に起きた「コシャマインの戦い」に勝利した武田信広は、現在の上ノ国町の花沢館城主だった蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の養女で、北海道と本州とを結ぶ海運を掌握した蝦夷管領(えぞかんれい)の安藤政季の娘と結婚した。戦いでの信広の指揮ぶりは、それほど卓越していたのだろう。この婚姻によって信広は蠣崎家の後継者となり、蠣崎信広と名乗った。

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 この信広だが、実はどういう…

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